荒び汚されたネット社会
今朝の朝刊の一面で、いきなりyahooではなくyafooと打ち間違えた人を招きいれて個人情報を入手していた41歳の馬鹿オヤジの記事が出ていたが、本当にネット社会は、人口が増えるにつれ、ただただ荒れすさんできたという印象がある。
かつては必要最小限であったメールも、今は99%が、削除を要するスパムか、エロサイト、出会い系サイトへの勧誘メールであり、情けなくなる。
ホームページもいろいろな仕掛けを埋め込まれて危険な地雷のようになっているケースが垣間見られるし、掲示板の内容などは、人間のネガティブな方向ばかりがフューチュアされているようで、非常に心落ち着かない。
実際の人間社会はここまで薄汚くないし、もっと希望を感じさせる、心温かな人間たちで溢れ返っているようにぼくには見える。こんなにも優しい人たちが沢山いると思うことがままある。さほど人間的な世界から、少し弾かれたようなオタッキーな極度の個人主義に、性的に研ぎ澄まされてゆく狂気、せせこましいヤクザな商魂ばかりが目立つようになってしまっている。
そういうことから身を守ることすら難しい時代になってしまっているけれど、パソコン通信時代からこういう時間を大切な「優しい時間」として過ごしてきたわれわれ古いネット世代としては、せめて一人一人が、もっと天然で開かれた要求、好奇の心に従って、日々を紡いでゆくしかあるまい、と思う。最近は、こうしたことが、以前よりずっと大切なことのように思えてきた。使命感とかいう大それたものではなく、自然にネットを使い続けることが貴重なことのように思えてきたのである。