眠れないのに眠い
もう若くないなといいかげん感じることが多々あるのだけれど、どうしても一度起きてしまうともう眠れない朝を、日曜日に迎えることほど、悲しいものはない。日ごろ、平日の朝にあんなに辛い思いをして、慢性的な夜更かしを後悔しつつ、会社への重たい足取りを辿っているのに、いざ日曜日、しかも何の予定もない日曜日に、ぼくはなぜ普通に起きて納豆かけご飯を食べているのだろう。そう。気づいたら、いつのまにかそうしているのだ。息子はTVを見、妻は洗濯ものを干している。外は快晴。爽やかな風。ところが外に出るわけでもない。なぜなら眠たくて、どこにも出かけたくないからだ。
介護保険がらみの仕事に手を染めているので、介護予防という高齢化社会の第二ステージに差し掛かっている現在、元気老人を増やし、外に出る意欲を起こそうという試みに加担もしている立場でありながら、そこらの老人以上にぐうたらな日曜日を送る自分は一体何なのだろうか。
疲労の蓄積のせいで、本を読む気も起こらず、DVDで見ていない映画がたっぷりあるのに見る気も起きない。要するに集中なんか、何に対してだってしたくないのだ。だから本当は眠ってしまえばいいのだ。やる気が起きるようになるまで。元気が回復するまで。自分は、なぜだらだらと一日をやる気もなく過ごしているんだろうと思う。
実を言えば、こういう日曜日はぼくの場合、極めて少ないのだ。だから、一日が過ぎ去ったときに、唖然とする。こんな一日を、この自分が過ごしたのか? とそう思うときに、けっこう強烈なショックを感じるのであった。うーむ。