『ブラックホーク・ダウン』
家に帰る前にゴルフの打ちっぱなしと居酒屋に寄ってきたのだけれど、ついこの映画を見始めて、夜中にかかったのに、途中でやめることができず、二時間以上の大作を最後まで見てしまったではないか。
ソマリアなんかに出兵するアメリカという国の、手前勝手な美談に陥りがちなこの手の英雄譚を、そうではない方向に一生懸命持ってゆこうとする脚本が、少し苦しいかと感じたが、むしろ現代版『アラモ』の娯楽大作として味わうべきアクション巨編として捉えたほうがスムースなのではないか、製作者の意図も、リドリー・スコットという政治映画に無縁の(と思うけれど)監督を使ったことで明確になっている気がするけれど。
CG技術を駆使しているのだとは思うが、そこそこ吐き気がするほどの戦闘シーンは、全編これ『プライベート・ライアン』の導入部みたいな迫力で凄まじい。劇場ではサラウンド音響が凄いという鳴り物入りだったが、確かにこれは家では味わえないのだろう。
下半身と二分されなお生きている兵士のシーンは、同じリドリー・スコット製作『エイリアン2』のアンドロイドの死のシーンと被ったりする。
映像の迫力と音の迫力。最後に兵士たちが言うように理屈抜きで闘うことを選んだ男たちの、理屈抜きで楽しめる今版『ワイルド・バンチ』なのだ。
こういう映画、単純なぼくは好きなのである。