シュンの日記なページ

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印刷屋

 年賀状を書くとは今はあまり言わない。どちらかと言えば「年賀状を刷る」と言う。PCで年賀状を作り始めてからもうかれこれ10年以上になると思う。今では画像処理を十分にできる分のハードディスク容量とクロックスピード(なんて言葉さえ懐かしい)を備えているから、重たいデータを綺麗に印刷することができる。郵便局で、予め予約しておかねばならなかったインクジェット官製年賀はがきも、今では予約無しでも手に入るくらい大量に作られるようになった。誰もがお手製のPC年賀状を作るようになったということだろう。
 だけど印刷そのものはデータが重い分だけ、綺麗には刷れるけれども時間は相変わらずかかる。十年前はもっと荒い画質がインクの乗りも悪くできあがるのにもっと多大な時間を要したので、年賀状作りは一日仕事という覚悟が要ったのだが、今では夕方から夜更けまでの時間で何とか一応様になる年賀状を作ることができる。
 ぼくの場合、銀鉛写真をスキャンしてデジタル化し、それからサイズを加工して、筆王のデザインモードで加工する。主として子供の写真を複数組み合わせて、それでよしとする。基本的にはこの一年間の写真。
 印刷をしている間プリンターのインクジェットが往復する音が眠気を誘う。時間を過ごす間ずっと本を読んでいる。
 そう言えば埼玉県北本市にいた時代、ゆきつけの<居酒屋ねこ>に行くと、いつも隣近所の印刷屋の社長が仕事の合間に呑みにやってきてそのまま居着いてしまうという光景に出くわした。この社長とはぼくは親しくなったから、時に北海道から<ねこ>を訪れるときには、社長の仕事場(マンションの一階だった)に酒を誘いに出かけたものだ。機会の輪転機みたいなものが油っこい匂いを放ちながら音を立てていて、社長はときどきそれを点検しながらいつもテレビをかけて見ていたりした。主に市区町村の議会の会議録を印刷しているようだった。時間にあまり束縛されず、緊張感もないようで、なかなかに優雅な生活だと羨ましく思った。
 その社長は香港の女性と結ばれて(かどうか知らないがきっとそうだと思う、長いことつきあっていたから)稼業をやめて(だと思う)東京に引っ越してしまった。もともと深川の下町ッ子で、分かれた奥さんや実の娘もそちらに住んでいるから、輪転機の音を聞く地下室生活のようなものから、より優雅な日の当たる場所へと出て行ったのだと思う。怠惰な社長のことだから、北本の<ねこ>にぼくがたまに立ち寄っても、そこで彼と出会うことはもう一生涯ないだろうと思う。
 ぼくはプリンターのシャーッという往復音を聞きながら、北本の社長の仕事場で大きな体を震わせて印刷された会議録を大量に吐き出してゆくあのお化けみたいな印刷機を思い出したりしていたのだった。