求眠熱
変な言葉だけど、あまりにも恣意的な寝不足が続くと、ぼくは求眠熱に陥る。体が眠いのに意思がそれを妨げ、ぼくは睡眠不足を恣意的に続けてしまう。体は限界を感じて、発熱する。
今日はそんな日。自分がいろいろなことをやりたいのに、寝不足であるから、体調が崩れる。仕方がないといえば、仕方のないことではある。でもなんとなく悔しい。時間が惜しい。
こういうのを時間の閉所恐怖症というのだそうだ。逆に時間が余ってやることがなくて困ってしまう状態を時間の広場恐怖症という。ぼくは物理的には閉所恐怖症ではないと思うのだが(かと言って矢作俊彦作『暗闇にノーサイド』の主人公みたいな目にはあいたくない、という例はあまりにもマニアックであるだろうか?)、時間の不足は恒常的に痛感していることである。
難しい言葉で説明しても意味がないか。要するに、今日は体調が悪く睡魔がぼくを捕らえ、ぼくはそれに抗って本を読もうとしている。はなはだ効率が悪く、覚醒と睡眠の間を行き来しているが、そういうのも人間らしくていいのではないか、という結論。もったいぶったわりにはシンプルすぎたかもしれない。