シュンの日記なページ

当別町スウェーデンヒルズ移住者 ブックレビュー 悪性リンパ腫闘病中 当別オジサンバンドOJB&DUOユニットRIOのVocal&Guitarist ツアーコンダクター 写真 スキー 山 田舎暮らし 薪ストーブ

矢作俊彦

 暗黒小説地位向上委員会の掲示板にて、世代の一回り若い(らしい)FADV仲間と矢作について話題を交わしていると、若い読者たちは、矢作に対し時代性みたいな意識が高いのかな、と感じた。ぼくには、何よりFADV以前の作家なので、あまり話題にできなかったこともあって、残念に思う気持ちと、矢作らしい少しずらしたところで生きて目立っている存在というのが、それらしく感じられたりもする。
 ぼくは決して矢作という作家に会いたいと思わないし、会えばきっと嫌なやつだろうなと思うに違いない。実際、冒険小説協会接待部屋とも言える新宿ゴールデン街の「深夜プラスワン」に矢作が現われたときは、誰も聞いたことのないようなカクテルを次々と注文して内藤陳を困らせては、独り浮いていたとその筋より聞いて、やっぱり気障で嫌な野郎なんだと思った次第。(本当かどうかはわかりませんよ)
 でも、そうした作家への反発とは逆に、ぼくは『マンハッタン・オプ』のレトリックに溺れ、憧れたのである。
 同じような作家としては村上春樹がいる。やっぱり作家そのもののエッセイを見ていてとても傲慢で自信に溢れ返っているようでいていやらしいおっさんというイメージがあってたまらないのだが、どうしてもそのエッセイの持ってゆき方、文章の面白さに惹かれてしまうのだ。
 結果的に矢作も村上もどちらもすっごくほれ込んだ作風であり、とってもいやなオヤジたちだと思う矛盾に、ぼくは噎せそうになる。嫌な野郎こそ、その偏屈さが素晴らしい美学を持っているのではないだろうか、と思ったりしたけれども、それでもあえて本当に嫌な野郎になってやろうなどとも思えない。嫌な野郎と文章の天才とどちらを選ぶかと言われても、やはり困るだけである。うーむ。