シュンの日記なページ

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イラク戦

 アレックスのFKは当然人選ミス。坪井の1ゲームに何度かあるあの手のミスも、レッズを知っている人には井原共々お馴染みの光景。センターバックのミスを批判するのは好きずきだが、センターバックのミスをカバーしなくてはいけないのがサッカーの組織作りであるはずだ。
 闘莉王の出てゆく背後をカバーする誰かがいる。もちろん、アレックスの背後をカバーする誰かがいる。そうでなければ、昨日の得点シーンも今日の得点シーンも生まれやしない。負の部分だけを協調して偉そうな批判をかますサッカー感想掲示板なぞ、日本のサッカー文化の未熟さ以外に何も表現していないじゃないか、とやはり思う。あるいはどこのサポーターにもなり得ない。
 下手なチームであれ、コンサドーレみたいな貧乏弱小チームを応援し続け、飲み屋でレッズサポのぼくに喧嘩を売って来る酔っぱらいのほうが遥かにサッカーに対する愛があると思うぞ。
 有名な「浦議」については、安易な批判を繰り返す掲示板とほぼ同系色であり、悪意に満ち溢れているが故に、ぼくは読むことを自分に禁じるようになった。
 ちなみに今日はアレックス・デイであったのではないのか。アシスト&ゴールを決めれば何も言えないはずではないのか。もちろんFKはやはり遠藤の方がましだと思う。だが、今日はアレックスは示すべき結果を示した。サッカーは結果に左右される。そこまで一点の重いスポーツ、ではないのか?
 また、今日の山田暢久だが、やはり切れていたのだ、と思う。あの何本かの決定的なパス。それらが受け手のミスで目立たなくなったことは、とても残念だった。
 そうした、収穫に繋がらない球筋を探し出す喜びというのも、フットボールと言う世界には沢山転がっているのではないだろうか。そうしたものを見つめる批評が現実にはとても少ないことは、ある意味悲しむべきことなのではないだろうか。文学もサッカーも批判だけは簡単にできる。自分にできないことを山ほど挙げつらねて、特定の個人に責任を押しつければ事足りるというのは、ぼくの感性とは相容れない。
 煮詰まってしまったプロ野球ファンの雑言のような批評、それはサッカーという比較的新しい日本の文化では、あまりありがたい話とは言えない気がする。できたらサッカーのもたらす喜びを知っている人間による、サッカーそのものの美しい一瞬を、もっともっと語って欲しいところである。否定文ではなく、本当に数少ないが、それだけに貴重な一瞬を発見し、それをこそ、是非とも語って欲しいと思うのだ。
 というわけで、今日は、昨日の闘莉王の、あの躊躇いのない攻撃を再現したかのごとく、ついにはゴールに繋げてしまった、アレックスのあの一瞬のプレイに軍配を挙げたい。もちろん、その前のアシストにも、だ。
 サッカーのゴールシーンは、美しいのだ。多くの美技が重なることで、初めて生まれるものだからだ。アレックスのゴールシーン、DF陣を引き連れてコースを作った何人もの日本人選手が、今日の二点目に絡んだことを、本来は解説者はTV視聴者に伝えるべきなのに、それを伝えることのできない元プロサッカー関係者の感覚の限界がとても悲しい。
 言いたいのだ、全く。もっとデリカシーを持ち、人間の目線で、サッカーを見て欲しい、と。そういう場所に光る、素晴らしいスポーツ、それがサッカーじゃないのか? と。