シュンの日記なページ

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横田基地のクリスマス

 クリスマスと言えば二十代のころは大抵横田基地で迎えていた。独立記念祭を基地で迎えていたように。
 米兵と結婚した叔母が基地内に住んでいたせいで、IDをもらってゲートをくぐり、仕事帰りなどに車で基地の居住区に入り込んだ。日本の家庭に比べるとずっと大袈裟なクリスマスが、従姉妹であるハーフの美人姉妹を中心に繰り広げられていた。ぼくもクリスマス・プレゼントと称して、大型のチョコレート、大きなキャンディバー、1リットルサイズのバーボンを何本ももらって帰る。
 テーブルにはターキーとゼリー状のソースが乗っていて、テーブル電動ソーでカットするハムは食パンのように分厚く、パイ状に焼いた手作りのケーキだって何種類も乗っていて、とても食べきれたものじゃない。従姉妹にボーイフレンドからかかってくる電話を母親が取っては無情に切っていた。あちらの躾はとても厳しい。だいいち叔母は銃が嫌いで、なぜ米兵と結婚したのだろうかと疑問に思うくらいだった。
 ぼくは英会話のレッスンのためか、なぜか日本語を解しない叔父ゲイリーとウイスキーをちびちび呑んで過ごしたものだ。彼は気さくで、ぼくを夜の滑走路に案内した。ビーコンの点滅する上空に侵入する輸送機がいた。着陸する飛行機の真下を車で潜り抜けたりして、ゲイリーは本当にアメリカ的にお茶目だった。
 航空基地のなかにはあちらこちらに自動販売機があって、彼はいつも "Beer or Coak? " と訊ね、ぼくは常にビールを所望していた。
 今、この家族はオハイオに住み(元はテキサスの出身なのに寒い土地に移動になったのだ)、そこで従姉妹のミッシェルとステイシーは二人とも結婚し、二人とも離婚し、二人とも子供を育てている。要するにどう見てもアメリカの家族だ。
 ぼくが横田によく行っていた頃、彼女らはまだハイスクール生だった。ステイシーが買ったばかりのキーボードでABBAの"Dancing Queen"を演奏するのに併せてギターを弾いてみせると、遊びに来ていた黒人の女の子が目をまん丸にしてぼくを眺めていた。あの夜、基地の中は日本であって日本ではなく、下手をすると麻薬の運び屋に間違えられてホールドアップを食らうほどに危険な、それでいて日本の法にとっては治外法権の土地だった。
 クリスマスが来るたびに横田基地のこと、気のいいヤンキーの叔父、目の覚めるような美人姉妹のミッシェルとステイシー(その頃からチアガールやモデルを経験しているみたいだった)、そしてテーブルの上に並んだ食べ切れないほどのゴージャスな料理を思い出し、ぼくはその貴重な体験の数々を、今思い出しながら家族に語る。
 それに負けないくらいの豪華さで、妻は料理を並べてクリスマス・イヴの夜を迎える。ずっと日本式にターキーではなく鶏で。ぼくにはぱさぱさのターキーよりも鶏の肉汁の方がよほど美味い。
 札幌もやっとこさホワイト・クリスマス。雪と言うより霰に近い夜。少し暖かめな珍しいセミホワイトクリスマスだ。