シュンの日記なページ

当別町スウェーデンヒルズ移住者 ブックレビュー 悪性リンパ腫闘病中 当別オジサンバンドOJB&DUOユニットRIOのVocal&Guitarist ツアーコンダクター 写真 スキー 山 田舎暮らし 薪ストーブ

夏祭り 2

 今日は自治体の夏祭り。いつも息子のサッカークラブが使っているグランドが今日ばかりは、一年で一番賑やかになる。祭りのクライマックスは餅まき。日赤のボランティアが数日前からついた餅をビニール袋に入れて投げる。息子はその子供餅まきというイベントに参加したのだが、何ともひどいことに高校生くらいの連中が小学生の分をほとんど取ってしまい、小さな子供たちは何も手にできないという結果になる。おばさんたちもいつのまにか参加していて、やはり小さな子の手から餅をもぎ取ったりする。
 こういう文化は、ぼくの幼少時によくあった「たてまい」という風習を思い出させる。農家は新築をすると棟上げ式の折りに餅、蜜柑、金銭などを配った。そのまま裸で屋根の上から投げて撒いた。小学生だったぼくたちはどこかから噂を聞きつけるとそこに飛んでゆき、多くの餅、蜜柑、小銭をせしめたものだった。そのときも子供の部ということではなく、ほおかむりをした農家のおばちゃんたちを相手取って、自分らの獲物を獲得すべくぼくらは闘ったわけだ。
 それに近い風習であるとは言え、当時と違うのは、祭りの場所ということで参加人数が異様に多いことだ。都内の通勤時間帯の山の手線並みの密度ににわかに支配された空間。はっきり言って子どもたちには危険だ。しかも大人の部はさらに後に用意されているのだ。それにも関わらず大人たちが平然と空に手を伸ばし、子どもたちの高さに落ちる前の餅をまんまとせしめてしまう光景が展開する。
 どうも自分が経験した「たてまい」とは違う。これではわが息子は一つの餅も拾えないな、と思っていたら長い距離を飛んできた餅が椅子に座るぼくの足許に落ちてきた。ぼくはそれを息子のために拾った。すると追いかけてきた子供とぼくの眼があった。ぼくはそれを子供に渡さなかった。ちと気が咎めたが、その子がやがて一つの餅を手にすることができるまでぼくは眼を放すことができなかった。その子が餅を拾って嬉しそうな顔をしてやっとぼくもほっとした。
 やがて餅撒きは終わり、息子が空手で戻ってきた。泣きそうな顔をしている。ぼくがほらよ、と餅を差し出すと息子は喜んだ。なぜ親がこんなことに手を出さねばならぬのか、その成り行きに理不尽を感じながら、その理不尽なシステムのなかに組み込まれている自分が何となく恥ずかしかった。
 「子供の部」をせめて「小学生以下の部」とするか、そうでないなら初めから「大人の部」だけにしたほうがいいのではないか、と思ったのは、おそらくぼくだけではないだろうと思う。そういうシステムなら、ぼくはきっと息子と一緒に大量の餅を確保できると思うのだ。大人も子供も遠慮なくぼくが蹴散らしてしまうことで。それが家族対家族の神聖なる戦いだとぼくは思うのだが、違うだろうか?