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作家志望

 作家志望と一生言ってきた気がする。でも本気で小説を書いたことはあっても本気で作家になろうと試みたことは今までに一度もなかった。二十歳前後のころにはそれでも純文学畑で作家を目指して短い小説をいくつも書いたり、実際に賞に応募したこともある。でも何度もトライしたわけではない。本気で作家になるということは、本気でそう考え始めると案外辛いものだ。だいたい文章を書くこと自体つらい作業だ。それがある程度読者を想定した場合、執筆という行為は、そう気軽な作業ではないと思う。
 ここに日記かコラムかわからないものをこうして日々書きつづけるということだって、そうたやすい作業ではない。なぜ書くのか? ピュアなふりをして言えば、一つには文章が好きであること。ぼくはワープロ以前の作家志望だったから、ペンで書き、読解不能な殴り書きの文字にあとで苦労したことがある。ワープロは、まるで昔憧れてやまなかった活字の世界に即座に変換してくれる便利極まりないものだ。こんな立派で贅沢な環境下で文章を書かないでいる手はない、というのがぼくの経験則による感覚だ。もうひとつは、文章力というものは、日々書き続けていなければ衰えるものと、信じているからだ。小説を書き進める日もあれば、まったく書く時間、あるいはそれにふさわしい時間を確保できない日もある。だが、文章はどんなものであれ最低限毎日書いてゆく。ある意味、修練のようなものなのだが、そういうものはどんな仕事にでも必要だと思う。
 かつて作家志望と言っておきながら本気で作家を目指していたわけではない時代には、ぼくはそんなことは気にしなかった。書きたいことがあって自分で時間をそういう部分に割り当てることが何の意識もなしにできた。でも、今はその頃に比べると自由に気ままに書くということよりも、何か金になるような価値のある文章を書き次いで一つの作品に仕上げる作業というイメージで小説を書き進めている。つまり仕事としての執筆作業。作家志望、と餓えもせずに言っていた趣味人のぼくが本気では考えもしなかった作業を、今、金のために書こうと思い始めた。遅まきながら。
 金になる小説というのをある程度読者の眼で見られるようになった今だからこそ、そういう視点でものを書いてみたいと思うようになった。ぼくは昨秋に退職してありあまる時間をすぐに執筆作業に費やしたわけではない。ぼくが本気で一つの作品づくりに取りかかったのはつい一ヶ月前のことだ。一ヶ月で270枚ばかり書いた。計画ではその倍くらいの予定だったが、暇そうでありながら、いろいろやることがある。家族には小説を書いているとは言っていない。売れるまで言えない。四十七歳。そういう年齢の失業中の男が普通にやる作業ではない。まあ、そういう意味で生まれて初めて、本気で執筆作業にかかっている。まず書き進め、修正を施す。三歩前に出たら二歩戻って手直しし、また……というような不慣れな作業。だが、是非完成させたい。500〜600枚、文庫本にして300頁ほどの長編小説を。
 最近いろいろ身辺が慌ただしくなってきて、退職による余暇を在りあましていた頃に比べると自由になる時間が少ない。不思議なことにそういう焦りが作業に取りかからねばという義務感を生む。小説を書くという作業は大変な作業だと思う。簡単に決意してすぐに完成するものではなく、相当に時間を要し、相当に決意の持続を促される行為である。投げ出して楽になりたくなる瞬間は無数に存在し、それを超えて書き継ぐ意志は容易に内部から奔出してくれない。
 でもだからこそ今、言えるだろうか、「ぼくは作家志望だ」という言葉を。