今となっては手紙が新鮮
久々に日曜日の全休だ。
ホワイト餃子を買いに出かけるも、蒲生店で売り切れ。ショック! しかし、気を取り直して一路R4を北上し、久喜店へ。一度品切れのため16時半より再開しますとの張り紙。30分ほど時間を潰して、購入。なぜホワイト餃子はこんなにも品切れになるのか。ぷんぷん。
帰宅後、夕食前読書。
湊かなえ『往復書簡』読了。
手紙だけで綴る中篇集。最初は中編と知らず長編のつもりで読んでしまい、一作目を損した気分になった。どれも手紙という形式ならではの隠蔽性、虚偽性を利用したトリックでどんでん返しを狙うあざとい作品ばかりである。
内容は、いつもながらの学園もので、複数主人公で、そして過去の悲劇が絡むといったもの。人間の複雑な心理事情の説明が、手紙を読み進むとともに明らかにされてゆく作りになっている。
いつもながらに湊かなえはこの手法であくまで客観文章抜きで小説を整えてゆきますか。
手紙小説といえば、ドストエフスキーの『白夜』が凄かった。何せ、泣きましたもの。それもおいおいと。素晴らしい中編小説である。さすがドスト!
さらにこうした形式であれば太宰治とか福永武彦とかいった少々前衛もこなせるような小説家が技巧しての使い手なのかな。
最近はメール小説こそ上手な使い手がいるけれど(小川勝己とか)、手紙という道具立てで勝負する人はあまりいなくなってきている気がする。その意味では湊かなえは、手紙ならではの時差や距離感というものもうまく利用して小説作りにかえって新しみを与えているような気がする。