シュンの日記なページ

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母の生地へ

 母のすぐ下の弟が三日前に亡くなったので、告別式に出る。パジェロを飛ばして出かけた水戸よりさらに北にある小さな町は、中学か、高校生くらいに父のナビを勤めて出かけて以来か。
 少し時間が合ったので西山荘に立ち寄った。寒いが冬陽は眩しい。
 
 

 その後、告別式から精進落しへと親戚一同と一緒に行動したが、母の8人もいた兄弟の誰ももういない。3人の生存する兄弟のうち1人はオハイオに住み、1人は北関東で入院、ぼくの母もクリスマスが過ぎる頃までは入院である。甥っ子であるぼくと姪っ子たちが揃って代理を務める。亡くなった叔父の息子たちが施主を勤める。従兄弟ばかりの告別式なのだ。代替わりという言葉が脳裏を掠める。

 母の生地には子供の頃によく来ては衝撃を受けた。川に入り手掴みで魚を取る年上の従兄弟たち。銛を尖らせて捕獲したなまずが翌朝の味噌汁に入れられて、とても食う気が起こらなかったこと。囲炉裏と鉄瓶。井戸の脇にバケツと柄杓が置かれ、それが家の飲み水のすべてであった。裏の豚小屋から、曳かれて行った豚が、田んぼを挟んだ向こう側の屠殺場で撲殺される時の悲鳴。

 寺での納骨を済ませると、当時土葬された祖父の姿が甦る。葬列は屠殺場の横を通り過ぎる。暑い夏のこと。血の溜まった石の槽が禍々しく、川にその血が流れ出し、赤く染まる。その上流でなまずを獲ったのだった。

 冬には未明に起こされ、従兄弟たちが作業小舎で餅つきをやっていた。夜が明ける頃に縁側に並んで、突き立てのあんころ餅を頬張ったときの熱さを覚えている。昔菓子作りを生業にしていた祖父が、黒砂糖で作った甘い黒煎餅を差し出してくれたことも。

 そうした想い出を従兄弟たちに語ると、その記憶の鮮明さに彼らは驚いている。地形はあのときのままだ。坂の多い、立体的な風土だ。すぐ後ろに西山荘があり、寺があり、幻のように熱波のなかを進んでいった葬列が甦る。8歳の夏。

 夕方、母の生地を後にする。ぼくの知らぬ新しい高速道(北関東自動車道)を通って闇の中を南へと戻ってゆく。