いきなりの戦後
今月から新聞を取り出したので、活字中毒者のぼくは、紙媒体での読み物の多さにうきうきである。朝は、豆腐の味噌汁、納豆、エボダイの干物といったメニューで休日の長閑さを味わいながら新聞を広げる。
今日の東京新聞は最終面のコラムで満州からの復員船の話を扱っていた。藤原ていの『流れる星は生きている』という本は、その復員の小説であるそうで、実は我が家では母が愛読しており、ずっと何年もその背表紙は居間のどこかに見え隠れしていたのだった。
同時に船の名前の本があったはず、とコラムを辿ると、あった、あった復員船の名前は興安丸、そのまま『興安丸』という本もあったのだ。母は復員の本を読み、父は復員兵であった。後に離婚して別々の人生を送った父はロシアの強制収容所生活を生き延び、母は東京大空襲を生き延びた人でもある。父は一昨年肺水腫で亡くなり、母は現在認知症で今日のことを忘れてしまう。自分の両親と昭和が堅く繋がっていることを噛み締めるいきなりの朝であった。