シュンの日記なページ

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古い通り魔事件の記憶

 今日、連休初日ANA羽田発札幌行きの空席をネットで見つける。昨日も会社からネットを開いて一席だけ見つけ、おっとばかりにアクセスしているうちにあっという間にそれは満席となってしまったのだった。今日確保したのは、プレミアム席だ。会社経費から5000円分余計な足が出る。致し方ない。
 速攻で20日朝からのコンペに申し込みを行う。由仁のゴルフ場だ。うう、楽しみ。
 ……って、最悪だった先月の後、ろくに練習をしていない。明日、レッズ戦終了後、練習にゆくか? ハードだなあ。

 そう言えば湊かなえ『贖罪』を読み始めたのだけれど、彼女はスクールを舞台にした少女ノワールみたいなものに終始してゆくのだろうか。一人称口語体で語らせ真実を明らかにしてゆく書きっぷりが、個性となりつつあるが、この作品も同じく少女たちのモノローグの積み重ねで真実が次第に明らかになってゆく。幾層もの黒い事実の皮が剥かれてゆく怖さ。

 ぼくは蕨の小学校から二年生になった途端、大宮の小学校に転校した。転校した少し後に、蕨の小学校の校庭に異常者が入り込み、鉈で数人の児童に切りつける事件があった。児童らはぼくと同学年だった。あの新聞記事を見たときの母の大騒ぎした朝のことは未だに覚えている。その後、児童の1人が九死に一生を得て大宮のぼくの隣の小学校に転校してきたのだが、中学校でぼくは彼と出会う。蕨時代には面識はない。それでも彼は同じ学区から学区へとぼくの後を追ってきたかたちだが、少し転校が遅れたばかりに事件に遭遇し、頭にプラスティックを入れ、喉に気管切開の痕を一生残すことになり、その他自律神経系の障害を抱えることにもなったのだ。

 そうした蕨の小学校を舞台にした通り魔犯罪の記録をネットで探したのだが、あまりにも昔のことであるせいか、どこにも見つからない。むしろ蕨の小学校は成人式発祥の地であったらしい。1946年、敗戦後の虚脱した空気の中、国民学校の校庭でテントを張り青年式を行ったそうである。前述の事件がその15年後に起こっているわけだ。当時の風潮から、こうしたちっぽけな犯罪は歴史の闇に、きっと埋もれてしまったのだろう。その被害者である友人とはもう何十年も会っていない。