シュンの日記なページ

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犬の記憶

 ぼくは雑種か和犬が好きなので、幼い頃には、雑種、中学を過ぎると、紀州犬や秋田犬を飼っていた。初代秋田犬の生んだ6匹の犬のうち、牡犬は犬屋に持ってゆかれ、残りは一匹ずつ知人にあげてゆくので、犬小屋は次第に寂しくなる。最後に残ったのが、チュウとチビだった。中くらいの大きさのチュウは、父の会社の友達にあげて、一番小さなチビがぼくの手元に残った。ぼくはチビを散歩させるのだが、チュウがもらわれていった家が近所なので、よく兄弟を柵越しに対面させてあげた。
 お互いに躊躇いながらも、どこかで記憶を共有しているのだろう。吼えるでもなく、互いに距離を置きつつも、少しだけ鎖をピンと張る背中の緊張に、彼らの興奮を少しだけ感じた。
 チュウの家の人はオヤジの会社の後輩だったが、脱サラして競輪の選手になり、がっぽり金を儲けて、家を建てたんだぞ、とはオヤジの言葉だった。そういう家に行けてチュウも幸せだったと思った。でもチビは、ぼくの元に残れたのだからもっと幸せだったろう。
 散歩する時に、大きな秋田犬に育ったチビを連れ歩くと自然に胸を張ることができた。小さな犬とすれ違うときには、相手が獰猛に泣くのに、チビは知らん顔をして、威風堂々と道の真ん中を歩いてゆく。そういうひとときが心地よかった。田んぼに連れ出し、鎖を解き放つと、いつまでも青い草の中で遊んでいた。
 稲妻が光り、近所の鉄塔に雷が落ちたりすると、チビは犬小屋の中で興奮した。雹が降ると尻尾を振って、金網の中に飛び込んでくる雹を頬張り、いい音を立てて噛み砕いていた。嬉しそうな、嵐の中のチビを今もぼくは覚えている。
 チビは芋虫が嫌いだった。たまにチビが毛を逆立てて背中を丸め、何かを睨んで足をすくませながら仕切りに吠え立てていることがあると、その視線の先には芋虫が這っている。チビは、芋虫がとても嫌いで、とにかく怖いのだ。
 ある星降る夜にチビは具合を悪くした。当時、鎖を解いて、草原や畑を走り回ることで、土から湧いた虫に寄生されたのだというのが、後のお袋の説である。チビは辛そうに遠吠えを繰り返した。冬の夜、ぼくは庭先でずっとチビを抱き、遠吠えに耳を傾けては、彼に呼びかけ、ずっと朝まで泣き続けていた。一緒にチビの痛みを苦しんだが、夜明けに、チビは静かになって、冷たくなり、もう一言も吼えることがなくなった。こんなに大きな犬がなぜ、こんな簡単に死んでしまうんだろう、と不思議だったし、このあまりに唐突な現実が信じがたかった。ずっと眼を合わせていたつらい一夜のことは、生涯忘れられない。
 後に弟が事故で死んだ時も同じことになった。病院のベッドで苦しい息をする弟と、朝までずっと話をした。弟の唇を水を含ませた脱脂綿で浸した。水は飲ませちゃいけない、と医師に強く言われたからだ。朝になって太陽の光が世界を包む頃、弟は死んだ。一夜、ずっとぼくと一緒に過ごした。あまりにも長い別れの時間。
 今でも犬の記憶は弟の記憶に繋がる。どちらも、多分、繋がることがなかったとしても、きっと生涯忘れることのできない夜の記憶になっていたことに変わりはないだろう。
 それ以来、ぼくは、犬を飼うことがなかった。
 それ以降、ぼくは、兄弟のいない後天的な一人っ子になってしまったのだった。