模倣犯
映画『模倣犯』を見た。妻が劇場公開時に、原作を台無しにするほどつまらなかったと言っていたので、なかなかチェックする気になれなかったのだが、続編『楽園』中、ヒロイン前畑滋子があまりに『模倣犯』で受けた心の痛手を引きずっているので、その9年前の事件を思い出すために、敢えて映画により事件の概略を思い出そうとしたわけだ。あの長い原作を全部読み返すような気力はないので映画ならちょうどよかろうと思って。
失敗だった。原作とは似ても似つかぬ映画だった。材料が同じでも主題や作品の目的が違えばこうも違ってしまうのか。これでは、CG依存過多のお子様ランチ風お馬鹿映画ではないか。
中居君を主人公に据え、アイドル女優らを被害者に据え、お笑い芸人を配置させ、話題を創出しては若い観客層を吊り出し、重要な役どころは山崎努にだけ演じさせ原作ファンのお茶を濁している、といった安直な興行収入への目的志向が強すぎる、とても不快な印象の作品だった。何でも受けちまう森田芳光監督も悪いが、脚本はもっと悪い。
犯人のピースも前畑滋子の夫昭二も原作では生きている。彼らを殺しちゃったら、『楽園』は撮れないだろう、って言いたいが、こういう作り手たちは、そんなことは意に介さずに、また別の『楽園』ではない『楽園』を作り出してしまうのかもしれない。日本映画制作事情は、進化している部分も多分にあるのだけれど、こうした原作との乖離現象にはいつもどこか肯き切れないものが残るのである。