夕雲
地球は美しいなと思う。今の季節、18時を過ぎて帰路に着くと、車のフロントグラス越しにはこうした夕暮れの風景が美しく絵のように映える。高層ビルがないから、いや、むしろ建物が少ないから、空が高く広く、奥深くさえ感じられる。そこを夕映えを受けた雲が、劇的な広がりを見せ、ある雲はその中を遊泳しているようにさえ見える。本当に地球は美しいな、と思う。
車がふらついていると文句を言いながら自身ふらついている宮城の父にも、あるいは今頃、腫れた足の痛みをさすりながら病室の窓に時折目をやっているかもしれない母にも、この地球の美しさ、そしてそこに生を受けたことへの感謝の気持ちだけは忘れないでほしいなと思う。彼らの時代にはもっともっと美しい地球が、もっともっと美しい自然が、水が、光が、風の囁きが、そこらじゅうを行き交っていたはずだから。
昨日、ポプラの綿毛が星のように降るなか、自転車を走らせながら思い出した。亡きK先輩と冬の穂高の雪尾根で雪壁に舞う風花を見つめ、「これがあるから山はやめられないな」と語り合ったあの瞬間を。山ばかりではない。この世には、えもいわれぬ瞬間がある。ポプラの綿毛が陽光を集めて深い緑の影のなかをゆっくりと神話的に舞っていた時間。美は確実にそこに存在するし、それは変わらずぼくの背中を震わせる。
何事もない日常の中のはっとした瞬間を捕まえようとしている自分に気づく。こうした意志は、もしかしたら、最近自転車に乗って、車では得られない自然の豊かさを肌で感じるところから甦ったデリカシーのようなものなのかもしれない。デジカメを常に鞄にひそませ虎視耽々と何かを求めている心の乾きのせいなのかもしれない。
ともあれ、今日の夕暮れについては二景ばかり、ここに掲げておこう。
石狩湾まで走ってこの空を海とブレンドさせた瞬間を写したかったが、この景色は一瞬のものであり、直後には薄闇に閉ざされるとわかっている。儚いよね、ほんと。