シュンの日記なページ

当別町スウェーデンヒルズ移住者 ブックレビュー 悪性リンパ腫闘病中 当別オジサンバンドOJB&DUOユニットRIOのVocal&Guitarist ツアーコンダクター 写真 スキー 山 田舎暮らし 薪ストーブ

富良野メランコリック・ホテル

crimewave2007-02-06

 オーストラリア人が続々富良野に集まっている。もともとニセコのスキー場にオーストラリア人が溢れ出すようになったのがきっかけだった。真夏の南半球から雪を求めてオーストラリア人はニセコにやってきた。次に別荘地を買うようになり、住む人が増えた。次に、今度は地価急上昇した土地を売って利ざやを稼ぐようになった。次にアメリカ人がオーストラリア人の真似をし始めた。今度はオーストラリア人は内陸のさらさら雪を求めて富良野に押し寄せてきた。

 大量のオージー・スキー客が平日の富良野に溢れかえっている。スキー場のある北の峯地区にはオーストラリア人が繰り出し、オージー団体受け入れホテルは満杯で、それを拒んだホテルはがらがらだ。

 この夜は、拒んだ方のホテルEに泊まった。駐車場の車はたったの3台。もちろんツインのシングルユースだが、レストランも休業状態なので朝食オプションもない完全素泊まり。温泉大浴場があるのだが、今では都市部のルートインあたりに負けるかもしれない。大浴場を真夜中の0時まで開けてあり、フロントに今日は貸切ですと言われた。まるで雪に閉ざされた「シャイニング」のホテルのように、ほとんど誰の姿も見えない大きなリゾートホテルに泊まる不思議。

 タクシーで街を往復し、街で夕食を食べた。軽く焼肉屋でビールを呑んだ。次に、「北の国から」や「優しい時間」でよく登場した店、ちっこ食堂に初めて入った。お婆ちゃんが独りでやっている店だった。昔は十代の孫娘が店を手伝っていて、とてもめんこかったのだそうだ。今でも20代前半の娘、どこにいるのだろうか。後から来た客がとりもつ焼きを注文。どういうものかと見ると、テーブルコンロにとりもつの鉄板焼きを乗せてご飯で食べ始めた。ご飯は大盛りを頼んでいた。噂ではとても美味しいのだそうだ。

 ぼくはネットで噂の、熱くて冷めないというラーメンを注文した。ラーメンができあがったとき、おでん鍋の蓋をとって、おもむろにおでんの具の卵をラーメンに投入して持ってきたのには少し感動した。とても好みの味だった。

 それに目の前の壁に、優しい時間の寺尾聡、長沢まさみのサイン色紙が油で汚れて10年前のものみたいに色褪せていた無造作ぶりがたまらく切なかった。

 街にもオーストラリア人がうろうろし、オージー英語が通じずに苦労していた。今、富良野に最も必要されているのは間違いなく通訳たちだと思う。

 ホテルに帰って、夜景を見下ろしているうちに思い出した。昔、富良野の酒場のカウンターで隣り合った人が、このホテルの料理人だった。二つの目的で札幌から移住したのだという彼の眼はとても輝いていた。二つの目的とは、フランス料理の店を富良野に開店することと、内陸のパウダースノーを満喫すること。スキーが好きな料理人なのだが、スキー・シーズンのホテルはとても忙しく滑る時間が作れない、料理の腕もまだまだだ、と嘆いていた。

 その後、彼の消息は知らないが、名刺を辿れば、まだこのホテルにいるのか、あるいはどこかでレストランを開くことに成功したのか、知ることはできると思う。でも消息は知らない方がいいかもしれない。そのうちまたどこかの酒場で再会できる日を夢見ていた方がいいかもしれない。