わが息子の「夢」
ぼくの息子には「電車の運転手になりたい」とか「野球の選手になりたい」といった夢がない。なぜ、そんなことを言うかというと、夢というテーマで息子が書いた作文を読んでみると、そういう内容でそれは書き出されていたからだ。
この春小学校を卒業し、中学生になってみると、少しだけ大人に近づいたことが実感され、もうあと少しで大人になる日が来るというのに、自分が何になりたいのか想像することができずに、息子は不安を感じている。
しかし息子は、今部活に一生懸命で、夏休みも毎日のように学校に通い、基礎トレーニングに励んでいる。実は、息子は、毎日の部活を頑張り、頑張り通すことというのが、今の自分の夢だと気づいたらしいのだ。目標という言葉に置き換えることのできる夢かもしれない。電車の運転手や野球の選手という遠い夢ではなく、より近い場所にゴールのある夢、それは今日も明日も達成のために何かをすることのできる夢だ。
夢の秘密を知ったことよりも、作文でそのことをきちんと説明できていること、また、普段の話し言葉よりもずっと大人びた整然とした言葉を駆使していることに、ぼくは驚いた。毎日顔を合わせいろいろな会話をする息子なのに、全然知らない一面を見た思いがする。文章という表現の不思議な作用。