シュンの日記なページ

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廃坑の町

 風間健介という人のホームページに行ってみた。これが凄い! 
 何が凄いって、この人の思いの密度が凄い。継続性が凄い。人間への切り口はいっぱいあるけれど、何がこの人を廃坑の町に駆り立てたのかはわからない。いずれにせよ、この人の切り口は凄すぎた。
 実のところ、ぼくも北海道へ来て最初の数年間、風間健介と同様にとまでは言わないが、夕張に魅せられていた時期がある。
 ぼくの廃坑デビューは、道北の築別炭鉱跡なのだが、もともとは旅人ミニコミ誌『とらべるまんの北海道』で羽幌ゴーストタウンというものを知り、その後、ここを舞台に使った志水辰夫の傑作『背いて故郷』を、まさに当時はまだ廃線化していなかった羽幌線の車中で読むことで、劇的にこの廃墟群と出くわすことになる。周遊券では行けないほど山に入り込んだ場所なので、その後車で北海道入りした折に、この廃坑を訪れた。
 正直、森に埋もれ行く町の悲しさを、視覚的に否応なく取り込まざるを得ない、現実感覚の重たさにぼくは圧倒された。紛れもなく人が住み、繁栄し、そして滅びた場所で、今まさに原始の森に呑み込まれようとしている廃墟。
 そうした町が北海道のあちらこちらにあるのだ。夕張にももちろんそうした廃屋は掃いて捨てるほど存在する。
 ぼくの通った場所は、夕張でも、大夕張という開けた谷間の地域で、ダムに埋もれる事が決定した村なので、もう誰も住むことをやめ、次々と建物が壊されつつある場所なのであった。その一角にはダンスホールも映画館も並んでいた。古の繁栄が容易に想像できる街角。 ローカル・テレビのノンフィクション番組では、往年の大夕張地区の活況を伝える老人の遠くを見る瞳にフォーカスが与えられていたものだった。
 ぼくの見据える大夕張の地帯には、まだ直線の道路が走り、これはまっすぐ抜けると途中で舗装が途切れはするが、芦別富良野へと繋がっている。
 直線道路の横には、小学校の校庭も清楚な校舎もちゃんとある。小学校の前の道路に歩道橋がかかっている。その歩道橋に横断幕。書かれていた文字は
 『思い出をありがとう』 
 
 ……ぼくの涙腺はどっとゆるみそうになる。見も知らぬ子供たちの悲しみがどっと胸郭に吹き寄せてくる感覚である。
 あるときには、目の前をバスが走っていた。誰もいない町を走るバスが不思議であった。あと数日で運行をやめるバスと、路肩に走るかつての鉄路跡がどちらも等分に悲しかった。 右手にはダムに沈んでゆく美しい河川。水面に倒壊させられた家屋の木材が浮かぶ無残。道路わきにぽつんとキタキツネの兄弟がすまして座っていた。ぼくはそうしたあらゆる風景に一眼レフのレンズを向けては立ち止まったものだ。本気で写真展を開き、多くの人にここの存在を訴えようかと思ったくらいだった。
 風間健介は、今ホームページで書いている。ここでは誰が撮ったって劇的な写真が撮れてしまう。だから自分は別のものを撮らねばと思った、と。
 それが『夕張』という写真集に結実したのだ。出版元は寿郎社。ぼくの知る限り3人だけで切り盛りしている札幌の弱小出版社。だが、戦う出版社でもあることは東直己の講演で聴き知っている。寿郎社の女性社員とは、行きつけの焼き鳥屋で、その東直己話題で盛り上がった事があった。寿郎社は苦しいと言いつつ、目には誇りが表れていた。
 ちなみに風間健介のサイトに導いてくれたのは、実は、ぼくが欠かさず訪れている花村萬月のホームページ。大の北海道好きである彼は、寿郎社の社長とも懇意であるらしい。そういえば、ある夜、萬月氏とぼくは、関東のある場所で一時間ほど北海道の貧乏旅行の話で盛り上がったことがあった。こうしてみると、いろいろなものがいつの間にか繋がってゆく。
 繋がってゆくことの喜びと、新しい才能に出くわす喜び。風間健介のホームページには是非一度お立ち寄りして頂きたい。 
 
 (ひそかに寿郎社から花村満月の北海道旅ルポものが出ることだって、ぼくは期待している。<北海道発花村萬月>、いいじゃないですか!)