シュンの日記なページ

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節目

 メーデーなんてまだあるのか? とは先日の上司の言葉。札幌では大通り公園をメーデーの日にはかつては大勢の労働者が行進したらしい。まだあるみたいですよとは事務女性の返事。細々とながら続いてはいるらしい。上司は60年代安保の世代であり、どちらかと言えば反体制に与しており、自民嫌いだ。だが当然共産主義にも社会主義にも幻滅しているのだと思う。
 BSで今日は60年代のアメリカン・ヒット曲を特集しており、何となく引き込まれてしまった。60年代前半は、ぼくは小学校の低学年であり、あまり馴染みがないのだが、小学校高学年になる60年代後半からは徐々に聴き始めている。60年代の終わりはまさに中学生時代、しかも深夜放送にどっぷりと浸かっていた頃なので、多くの伝説的バンドを同時代で体感した。
 ビートルズ最後のLP、ストーンズやドアーズあたりが生である。懐かしいところではメリー・ホプキンや、アニマルズといったところの映像が、今思えば映像としては貴重なものを観た気がする。
 思うのはあの頃の歌はソウルフルなものが多かったかという印象。意外に力強いものが。番組でも取り上げられていたが、ヴェトナムの戦火が長引き、死者の数が拡大するに伴って、音楽はよりメッセージ性の強いものや、ドラッグの影響を受けたものへと変わっていったのだと思う。
 今思えば、あの頃のムーブメントは、今世紀には何も引き継がれていないのだ。大通り公園には残り少なくなったメーデーのパレードが(確認したわけじゃないけれど)、寂しく集い、歌声喫茶カラオケボックスの馬鹿騒ぎに、戦争は今も死をばら撒き、アメリカは兵隊を送り込み続けている。あの頃のロックの火を点したスターたちは、若者たちにすべてを譲渡して引退し、ぼくはメーデーの土曜日だというのに当番制の勤務で一日を退屈に過ごしている。
 よく晴れた青空の下に、何事もないかのように道央圏の山々が、未だ雪をいただいてくっきりと聳え立ち、赤い落日が石狩湾の方角にぎらぎらと沈んでゆく。
 ちなみに、花村萬月氏が昨日できっぱりと日記連載をやめてしまったそうだ。日記は本になるのだそうだ。せっかくリンクを貼ったばかりなのに、残念だが、節目というのは人によって違って当然のものだろう。人によって、ずれのない節目などに、一体何の意味があるだろうか。