シュンの日記なページ

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ヒマラヤ

 ぼくは山岳会時代、山岳部時代を通じて、ついぞヒマラヤには興味を覚えなかった。我ながらけっこう先鋭的な山をやっているなと感じたのは、当時の厳冬期の穂高をまともに縦走する山岳会はそう多くはなく、ぼくはその数少ない縦走者であったからだ。先鋭、イコール、壁という図式があり、ちょうどフリークライミングという言葉がクライマーの心をくすぐり始めた時代だった。しかし壁は一方では距離には変えることができなかった。縦走という意味ではぼくは日本の登られざる山にこだわった。十分には登れなかったが南会津の地味さのようなものに惹かれていた。
 北海道に在住する竹迫智也君とはぼくは会ったことがないが、ぼくの大学山岳部の後輩なのだそうで、何と彼は北*銀行という凄い就職を果たしながら、今年5月にK2に登るのだそうだ。
 2002年にやはり後輩の柏澄子が日中女子合同登山隊でチョオユーを登頂したのも、夢のような快挙だと思ったけれども、竹迫智也もやってくれそうじゃないか。http://www.muromin.mnw.jp/200403/040314_15.htm あるいは、http://www.tokachimail.com/taiki/040309index.html によれば道内の登山家四人での挑戦とか。その名も「どさんこ同人K2登山隊2004」だってさ。
 ぼくらが現役のころは『白き氷河の果てに』というK2登山隊の映画をテントでの歌のメインにしていたものだ。佐瀬稔のノンフィクション『狼は帰らず』の主人公であり夢枕獏の『神々の山嶺』のモデルであった森田勝も参加していた日本のマンモス登山隊が挑んだ8000m。
 そんなところに、ぼくが会ったこともないほどずっと後輩である竹迫君という28歳が挑むんだなあ。しかも北*銀行を辞めて……。そう言えば柏澄子らが札幌のぼくとお茶タイムだけのために寄ってくれたときも、彼女らは竹迫実家に何泊かして大雪の山スキーかなにかを楽しんできたのではなかったか。
 竹迫君の壮行会が29日に都内で開かれるらしいが、ぼくは当然行けない。まだ見ぬ後輩の姿がK2という映像にまざまざと残るあの頂上に立つことがあるのかと思うと、それなりにどきどきする。頑張れ!