シュンの日記なページ

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廃れ滅び行く町

 父は二ヶ月に一度病院に通い、薬をもらってくるそうだ。近所に病院はなく、運転ができる間のことだ。父は足腰が立たなくなりつつあり、じきに何らかの交通手段が必要になる。父の今の奥さんも免許を持っていない。実に困った話だ。
 父の手を入れている廃屋へ向かう。水を引いている沢に登ってゆく。川を渡り、急な山の斜面を登る。ここで父はあるとき転落して五分間意識を失ったそうだ。上唇を切り、義姉の運転で病院へ運ばれ、何針も縫ったのだそうだ。父は、意識を失ったから落ちたという。何が起こるかわからないほど父はいつの間にか高齢になっている。
 父の今の奥さんと二人でぼくは山へ分け入り沢を伝った。廃屋からずっとパイプが通じている。父と奥さんが通したものだそうだ。水源は、枯れない沢の水。落ち葉を取り除いて、ネットの状態を見て、また戻ってゆく。
 廃屋の中にはファンヒーターと、古いソファや古いサイドボードが運び込まれ、昨年の盆には義母の息子夫婦がここに泊まっていったという。自作のカウンターが作りつけられ、さらに内外装が施されている。年金のほとんどがここの改修に注ぎ込まれているのだそうだ。これがあるから生きていられる、と父が言う。楽しみがあるのだ、と言う。黴臭くて、ぼくにはとても住めたものではない。外で寝袋に入り込んだ方がよほど良さそうだ。だが、父には残り少なくも充実した彼の人生がある。
 午前のうちに温泉へ入りにゆく。栗駒文字山武温泉さくらの湯。ロックフィルダムの直下にできた新しい温泉で父とゆっくりこの湯に浸かる。心臓病にはあまりよくない湯なのだけれども。
 愛染湖というダム湖を見てゆく。平成9年にできたばかりのダム湖。ロックフィル工法と言えば、日本では槍ヶ岳北鎌尾根の登り口にしかかつてなかったもので、ぼくはそこの九十九折りを早朝に登って槍ヶ岳を目指したことがある。今は、いろいろなところでこのロックフィル工法で作られたダムを見かける。
 父の釣りの先生がやっているという中華屋でラーメンを食べて、父の家のある古い鉱山町へ戻り、午後を読書と昼寝で過ごす。
 15時過ぎの終点無人駅から、一両編成の電鉄に乗ってぼくは帰路に着く。無人駅のホームには、ぼくを見送る父夫婦と、カメラを構えてウキウキとしている鉄ちゃんしかいない。この鉄路は半年後には廃線になるらしい。窓を開けて走り出した電車から手を振る。もしかしたら最後の別れになるのかもしれない、父の姿を目に焼きつける。静かな野を通り、ゆがんだ単線を一両編成の古い客車が走ってゆく。床は板張り。何とも時代遅れの夕まぐれ。
 途中、新幹線駅までのシャトルバスに乗り買える。函館や小樽を走っていそうなロココ調の洒落たバス。
 新幹線、空港バスと乗り継ぎ、仙台空港から新千歳空港へ飛んだ。地下鉄から夜の麻生の町へ出ると、積もりたての雪。とり千に入って、ビールを味わう。ホッケをフライにしてもらい、頬張る。札幌の味。
 ひなびた無人駅のホームで手を振っていた父の老いた姿が、網膜を離れない。