シュンの日記なページ

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鈍さ

 人間にはだれしも鈍いところがある。ぼくも鈍いと言われることがある。どこでも眠ることができるし、どんな哀しい辛いことがあっても、翌朝にはさっぱりと切って捨てることができる。でもそれはぼくの考えのうちでは、生命持続のための活力であり、あくまで後天的なものであり、鍛えてきたものなのであり鈍さではないのだ、と答えたい。でも他者の眼に映るぼくの鈍さは、やはり本当のところ先天的なものなのかもしれないし、やはり鈍いと言ってしまえばそんなものに過ぎないのかもしれない。
 問題は鈍さを肯定も否定もできない孤独を抱え込んだオタッキーな人間の心底の鈍さだ。これはどうあがいても理解させることのできない種類の鈍さであって、当の本人には一生かかっても意味のわからない鈍さだ。その鈍さは他人を慮ることのできない自分本位の、余裕のない鈍さであって、突き詰められたエゴの袋小路がもたらす鈍さだ。これもぼくと同じように鈍いと自分では感じることのできない感覚であるのかもしれない。
 ちなみにこの種の鈍さは、非常にたちが悪く、人に迷惑を及ぼし、人に危害を加えることがしばしば在りながら、修正される見込みのない鈍さだ。そういう鈍さが街にもネットにも溢れていて、ときには人は彼らの姿をいやいや目にし、周囲は説得に疲れ果てる。そういう鈍さに囲まれることこそ社会生活の最大公約数的妥協だと言えないこともないのである。嗚呼……。
 今日は札幌も熱気に溢れている。こういう暑さにこそ鈍くありたい。自分の身を鈍さでもって鎧っておきたいところだ。