シュンの日記なページ

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登山者の服装

 ぼくがしきりに山に通っていたのは70年代の後半から80年代前半にかけての10年間だった。その頃は今のような高齢者登山のブームというわけではなく、北アルプスも奥秩父も、若者たちでひしめいていた。山岳会も二十代が中心となって活動しているところが多かった。
 山岳会に入ったときに驚いたのは、メンバーたちの山での服装が思いのほかラフだったことだ。とりわけ夏山ともなると、上はカッターシャツを用意するものの滅多に着ることがない。Tシャツ、ジャージにスニーカーで山を歩くのだ。登山靴は相当な重荷をかついだ場合のバランス取りにはいいのだが、岩場をすいすいと泳ぐように登ってゆく場合はスニーカーの方が岩の曲面にフレキシブルに対応できたりする。ただし落石の起こりやすい場所や岩が安定していないところでは、足の甲に岩が落ちることなどを想定し、安全靴のように登山靴で防備したりする。
 涸沢のキャンプ場での夏合宿はたいてい長く続く。明日はあっちの岩、その次はそっちの尾根、と一般登山客の入ってこないバリエーション・ルートを求めるのだが、軽い散歩(奥穂高岳山頂へのザイテングラートなどの一般コース)へはビーチ・サンダルで登ったりしたものだ。
 体力に物言わせて、それこそ獣のように樹林限界より上の高度そのものに馴染んでいた。服装が最低限だったということの理由の一つに、金がなかったということもある。登山用具は今も昔も馬鹿高い。
 そう言えば登山帽というのも山岳会の場合ほとんど被る人はいなかった。日除けにしろ、風除けにしろ、バンダナだけですべて用が足りた。岩を攀じる場合はヘルメットを着用するので、帽子などはかえって邪魔だった。
 そういうわけで、一般の登山客に比べると、ぼくらのような山岳会所属の山ヤはことさら軽装だった。登攀具だけでも相当に重く、ましてや長滞在をするから、涸沢に出入りするときの荷物は半端じゃなかった。だから一旦山に入ってしまってからの服装なんてどうでも良かった。機能さえ満たせば。
 今でもときどき仕事などでバンダナを巻いた年輩の方を見かける。ラーメン屋、焼き鳥屋など暑いので汗が落ちるのを防ぐのだと思う。登山でも、実際に重い荷上げ作業などでは、汗が眼に入るのでバンダナは必須だった。
 バンダナをする職業の方を見ると、ぼくはあの頃涸沢で夏を過ごしていた頃の山ヤたちの風貌を思い出す。先日TVで見た活弁師・麻生八咫もバンダナが良く似合っていたから、ついそんなことを思い出した。熱気に溢れる人だから汗が目に入る? それとも前額部が後退したからかな? そこのところはバンダナに隠れていて、よくわからない。