シュンの日記なページ

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アンソロジー

 アンソロジーなんて滅多に読まない。好きな作家のシリーズ短編などをチェイスしてゆくときにだけ、仕方がなく買ったり借りたりして読むけれど、できたらその短編だけを読んで、あとは書棚に戻してしまってもいいくらいだ。
 そういう気持ちになったのもアンソロジーというのは基本的に無駄が多いと感じるからだ。とりわけ日本のアンソロジーは駄目である。なんでこんな下らない作品が裂いているページのためにこのアンソロジーを買わなきゃ駄目なの? と問い正しくなるような本にばかり行き当たるのだ。
 というわけでぼくはアンソロジー嫌いだったのだが、オットー・ペンズラーが毎年スペシャル・エディターに巨匠(L・ブロック、S・グラフトン、E・マクベイン等々)を迎えて編集するアンソロジーアメリカ・ミステリ傑作選』には目が覚める思いがした。何せ巨匠がいっぱいいるし、知らない作家もいっぱいいるのに、どれもが面白いのだ。それもむべなるかな。その年に発表されたほとんどすべての短編を検討した揚げ句(作家からの自慢作紹介まで序文では募っている、というくらい徹底している)、その年のベスト20と思うものだけを掲載したという、これ以上ないようなアンソロジーなのである。
 こんな凄いことが実現できるのも、ほとんどすべての雑誌・新聞発表作はペンズラーが、それ以外のものはアシスタントの早読み女史が下読みとして選出してゆくという二人によるミステリー完全取捨選択能力のおかげ。ペンズラーのミステリの定義は「犯罪をあつかった物語」という非常にシンプルかつ最低限なものなので相当数の作品に眼を通しているわけである。
 このアンソロジー(手元にあるのが『アメリカ・ミステリ傑作選2001』ペンズラー&マクベイン編)には無名の短編専門作家たちもいっぱい出てくる。アメリカでのこうした短編文化の根強さに接すると、やはり日本は雑誌中心短編が量産されている割に、面白くない作品がほとんどだと思われる。日本は短編となると、急に日本語特有の行間で読ませることを意識しすぎて「情緒」や「上品」に走るゆえに、作品そのものの面白さを失ってしまう。それと作品を量産しすぎて、似通った短編が多くなると言うのも困りもの。
 アメリカ・ミステリでは、ストーリーの面白さに加えて「語り口」「会話の妙」といったところに短編の主たる面白さがあるように見える。これは日本作家たちに是非もっともっと盗んで欲しい文化であるなあと、読者側のぼくは切実に感じてしまったのだのだった。
(今日の日記はこのままこの本の読書感想に使えそうだと、はたと気づく……)