シュンの日記なページ

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移動する型の人間

 ちょっと考えると不思議なのは人間はどういうきっかけで生まれた土地を離れて別の土地に移動するのかということ。ぼくの場合は北海道に一度来て以来、強烈にこちらへの移住の意志が生まれた。北海道のいろいろなものが自分にフィットするように思えた。
 学生時代によく友達からお前は北方志向だと言われたけれども、その通りだと自分でも思った。暖かい海よりも、寒い山を愛した。砂よりも雪が好きだった。岩よりも雪山を得意とした。父親は三陸北部にあって岩手と青森の県境で、海と山の接した場所の育ち。母親は茨城県中央部の山村の育ち。二人は終戦後に東京で出逢い、母はぼくを都立病院で出産した。東京で幼児期を過ごし、4歳から30年以上もの時間を埼玉で過ごした。そして、今ぼくは念願通り札幌にいる。
 最初は転勤願い。そして数年後の転勤命令。再び東京への転勤命令を受けたが家族の移動が完了する前にぼくは退職して、札幌にとどまることにこだわる。
 よく聴く移動の話は、女性に多い。遠隔地への嫁入りだ。男で移動する場合には、仕事に関わる場合か、あるいはぼくのように相応の意志が働いている場合が多いようだ。ぼくの山仲間は世界中のあちこちの思い思いの場所に散在しているが、山をやっていた者ならではの落ち着きのなさは共通のものであるような気がする。
 生まれた土地にいつづける人も入れば、違う場所へと移動しないではいられない人もいる。ぼくの場合明らかに自分で後者であるという意識がある。
 ただ自分がもし、生まれた家が限りなく裕福で由緒正しい家柄で家督を相続し、跡目を継ぐような稼業を幼児の頃から諭されていたならば、やはり今のぼくのような移動ということは選択できなかったに違いない。
 昨日床屋に行ったのだが、家族でやっている床屋。夫婦とその息子でやっていて、孫もいる家族だ。息子は跡目を継いだのだ。だが、両親はどこからか札幌にやってきて二人で床屋を始めたわけだ。
 どこかで移動する人間がいて、どこかで移動を拒む人間がいる。北海道は三、四世代ほど遡るとたいていは内地から移動してきた人間ばかりだ。北海道の歴史は浅いから。今はともかく、百年前には移動を拒む種類の人はあまりいなくって、移動を好む種類の人間たちでできあがっていた世界だったのだと思う。その当時の経済が原因だと言われてしまえば身も蓋もないが、ぼくは同じ経済の中でも確実に移動を選択する人種と、とどまる人種は別個に存在すると思う。
 ぼくは百年遅れてやってきた、移動型の一人であるのだろう。だからといって、ぼくの息子がここで根をおろして生きていってくれるタイプであるかどうかは、今のところは何とも言えない。