自給自足
タイヤ交換は小型車ならともかくパジェロとなるとこれまで一度も自分でやったことがなかった。正確には、やろうとしてみたことはあっても、ジャッキアップしている時点で面倒になって、近所にあるブリジストンの<タイヤ館>に任せてしまうのだった。ここへ運ぶと、ジャッキアップなんかせずに車ごと持ち上げてしまうシステムだし、電動工具でナットをあっという間にはずしてしまうし、何よりも四人がかりだ。作業時間に15分もかからない。これを自分でやると一本交換するごとにジャッキアップし、一本あたり十数個のナットをレンチで外し、タイヤを代え、逆工程を辿ることになる。ただし店に頼めばタイヤ館では4500円くらいかかる。ガソリンスタンドでは一台の車に四人もかかることができないので、およそ四倍の時間がかかり、値段は3000円くらいで収まる。
これまではタイヤ館に平気でパジェロを乗りつけて、15分ほど待ってさっと家に帰ってきて、タイヤを積み下ろすだけの作業だった。でも今ぼくは無職であり、以前のように決まり切った月収が入ってくるわけではないし、退職金は切り崩している。というわけで、自給自足というにははるかに至らないのだが、たいていのことは自分でやるのが当たり前という感覚になってきている。
昨日も新しい電子レンジに旧いレンジ台が合わないのであれこれ店を見て歩いたのだが、結局買ったのは千円に満たない鋸一本。これでレンジ台の余計なでっぱりを切り取って、レンジが乗っかればいいじゃないかということになったのだった。
今日はアルミホイールに結局純正レンチが合わず、あわやタイヤ館かと思われたのだが、やはりジョイフルエーケーに出かけ、「アルミホイールにも適用できる薄型レンチ」というのを見つけて600円強で購入。タイヤ交換は明日にでもこれで実現可能となった。サラリーマン時代は時間がなく金があった。学生時代は金はなく時間があった。今思い起こせばどちらが幸せであったかは一目瞭然なのに、社会の基準に合わせるようにして無理をしてきたのだと思う。収入のなくなった分、よけいに汗をかく。たかがそれだけのことをないがしろにしてきた日を思う。
今ジョー・R・ランズデールの『ボトムズ』を読んでいるのだが、1930年代の深南部。自給自足に近い経済。貧しさと人種差別のなかでたくましく生きる人々を見ていると、ぼくはその「自給自足」ということから恐ろしく遠い場所で生きてきたこの十数年に驚愕する。ぼくは山ヤだったのに。ぼくはアウトドアが趣味だったのに。いかに多くの手間を惜しんできたことか。価値観がゆるやかに変わってゆく毎日。ホームセンター系統の店にはこれからさぞかし頻繁に通うことになるな、とそういう気がしてきた。