シュンの日記なページ

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ふるさと散歩

 午前中歯医者にゆき、虫歯にかぶせ物をした。これで歯科治療はとりあえず終了。年内は終了というのではなくって、本当に歯医者の季節は終了。とはいうものの、四月の検診の予約をとる。けっこう四月の予約も歯医者さんはぎっしり詰まっているというのでびっくりした。みんな計画的に歯を見てるんだなあ。
 さて、パジェロの冬支度だ。荷台に重たい重たいスタッドレスタイヤを積み込む。札幌時代はガレージに入れていたけれど、今回は実家の裏庭にビニールシートにくるんだだけの裸で置いていたせいで、それぞれのタイヤが濡れたり泥まみれになったりして大変汚かった。荷台に積み込むだけで、コートも軍手もすっごく汚れてしまう。
 直近のガソリンスタンドに持ち込むが、セルフのせいか、お昼時間帯は一人体制なのでできないみたい。鍵と車を預けて、ではと今日は実家近くの七里ウォーキングを行う。大谷経由蓮沼に足を延ばし、お昼は肉野菜炒め定食を摂る。
 その後、小さい頃からあった八木アンテナの工場の周りをめぐって、大谷に引き返す。昔は、ここがすべて田んぼと山だったのだ。隠れ家を作った山は今はヤオコーになっている。
 一旦自分が小学生時代に住んでいた県営住宅に向かい、そこから七里小学校への通学路を辿ることにする。人生で最初に「録音」ということを経験させてもらったTさんという4年上のお姉ちゃんの家の前を通り過ぎるとTさんのお母さんらしき相当の年齢のおばあちゃんがちょうどサッシを開けて姿を表した。あれは、まぎれもなく初めて見るカセット・テープ・レコーダーだったんだよな、ぼくが2年でTさんが6年だったのだ。
 それから、転校してきたその日に相合傘で帰ってくれたヒトミちゃんの家の前を通るが、違う人の家になっていた。
 田んぼと、小川はすっかり姿を代え、団地になったが、これはぼくの小学校高学年の頃だ。ぼくの住んでいた住宅は一度壊されて新しい建物に建て直されているけれど、このあたりは古いのか新しいのか見た目からはよくわからない。ここに住んでいた何人かの友達はもうここには誰もいないだろう、と思われる。
 ザリガニを釣った沼のあったところは普通に新しい家が建っている。地盤沈下なんか起こさないのかと心配になる。建前の餅まきをしていた家は、あの頃まだ上棟が終わったばかりだったのに、今は歴史を経て、周りの家から取り残された古い家屋でしかなくなっている。
 学校裏の神社に着いて、メインの社が空っぽなので、隣にある小さな祠に手を合わせてお祈りしていたら、隣でジャージのおっさんがはあはあとトレーニングしてうるさい。ちょっと離れろ、と文句をつけたくなったのは、ここは俺の育った場所なんだからなという身勝手な思いからかもしれない。
 小学校の校庭の前を通りすぎ、ここでのいくつもの思い出を噛み締めていると、電話がなった。タイヤ交換が終わったみたいだ。
 いろいろな想い出に別れを告げて、今日という現実に引き戻され、ぼくは慌ただしくガソリンスタンドに急ぐのだった。
 (写真はお稲荷さまと七里小学校)