シュンの日記なページ

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真っ白に……

 「あしたのジョー」ではないけれど、ブラジル戦後の中田ヒデの芝の上での7分間は、真っ白に燃え尽きた姿だったのか。

 中田はベルマーレ平塚時代に浦和レッズの宿敵として何度も生のプレイ姿を見た選手だけれど、当時はベルマーレのブラジル人たちに翻弄された印象ばかり強くて、中田自体は印象に残る選手ではなかった。でもその後、ペルージャに移籍してからは、毎試合全部TVで見た。そのくらい中田はペルージャにフィットしていたし、点取り屋のクロアチアラパイッチともどもとても印象深い、いいチームだった。

 パルマに行ってからはさっぱりで、ローマでもボルトンでも泣かず飛ばず。日本代表では素晴らしいプレイをいつも安定して見せていたから、もっと身近で試合に出る姿を見たかったというのが本当のところ。海外で商品化され高い値段がついた最初の日本人選手だったのだろう。

 そんな日本サッカーの歴史とともに中田の引退はある一時代を終焉させてゆく。彼の悲劇は、ジーコ日本サッカー協会のしまりのないところに生きねばならなかったことだと、ぼくは信じている。水を運ぶ選手を大事にするオシムのもとでサッカーができたなら、水を運びもする司令塔としてオシムの度肝を抜いてくれたことだろう。しかし、それも夢と消えた。確実に一人の人間が歴史となった瞬間である。