ブックレビューのスタイル
ブックレビューにはいろいろあるけれども、自分の場合はとてもずるくって、余程ではない限り、好悪を書かないようにしている。少なくとも、最近は書かない。
余程困った本でも、きちんと材料を並べて書いているつもり。文章が下手であれば下手だと書くし、小説家として進歩がなく何年も変わり映えしないようであれば、明確に飽きたと書く。
それにしても作品そのものがいいか悪いかは、やっぱり読み手に委ねたいという気持ちである。いや、最近そうなってきたのだ。作品の好き嫌いについては、論争したところで変わるものではないことが多いのに、無益な論争を繰り返した挙句、その後のおつきあいに支障が出て来る、というのがパソ通時代からのパターン。そういう無益を避けるようになってきた。ある特定の読書仲間には、実は今でも辛いことも言ったりする。けれど、その場合は、その方とは真剣に話したいという証左ですので、ご勘弁あれ。
そうした曖昧なレビューを日頃書いているので、たまに知人たちの読書の本音を聴くと、案外に同調するところがあって嬉しい。
例えば『ボストン、沈黙の街』は「このミス」第7位だけれど、ぼくはさほどの作品かなあと思っていた。評論家・吉野仁氏が出版当時からこれを第一に押しているのに対して、FADVからは小太郎さんが本日の日記にて多少なりとも否定的な声を放っている。
誰がどう気に入って誰がどう楽しめるか、はたまた楽しめないのかは、とてもわかったものではないけれども、ぼくは実はこの作品の○●は▼◎◇×で□△●&$だったのだ。でもそうであっても、正直には書かない。楽しめた人が読んでも、つまらなかった人が読んでも、なるほどなあって読んでいただきたいのが、最近のぼくのレビュー。
ずるい、って言われるかもしれない。しかし、面白さも、つまらなさも、自分が受けたり受けなかったりした感覚を、他者のレビューの中に発見する歓びというものがあってもいいではないか。自分と人とが違ったり、ときには同じだったりすることもあるから、レビューの読み合わせは面白いのである。