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『マグロ』と『魚影の群れ』

crimewave2007-01-06

 一昨夜と昨夜の二回に分けてTV朝日系の特別ドラマ『マグロ』が放映され、その二回目だけを見た。気合の入ったロケを、見覚えのある大間漁港や函館朝市、戸井漁港などで敢行しているので、ドラマにしては悪くない印象だったが、渡哲也扮する頑固漁師を見ていて、そういえばまだ見ていない『魚影の群れ』の緒方拳のほうは、果たしてどうなのだろう、二つの作品の違いはどうなのだろうと、関心が沸き、早速映画の方をDVDで観た。

 一言で言えば、『魚影の群れ』は、ドラマ『マグロ』よりもずっとずっと陰の濃いハードボイルドな作品だった。映画の製作年度が1983年、およそ四半世紀の時の隔たりが二つの作品にはあるのだが、描かれるマグロの一本釣りの有り様はその間の時の流れを感じさせない。ドラマでは確かにハイテク機器に頼る若手漁師と昔ながらのアナログ漁師のイデオロギー闘争のようなものも描かれてはいるけれど、どちらもマグロの一本釣りに一生を捧げてしまい、周囲や家族とうまくやってゆけない頑固な一匹狼のような老漁師の生き様と家族らの葛藤に主眼を置いている点は共通している。

 そして彼らの跡継ぎの世代の悲喜劇を描いている点でもドラマと映画には共通項がある。それでも相米映画の方は、夏目雅子演じる娘、十朱幸代演じる逃げた妻らと老漁師との相克は並のものではなく、マグロ漁という仕事が持つ暗い面……一攫千金にも似た生活の危うさ、命の危険、家族の犠牲などを、魂のはらわたのように作品は抉り出してみせる。中でも、佐藤浩一演じるところの青年が、自ら漁師になることを誓い、そのために海の危険に身を投じてゆくこと、その困難さを非情なまでに描いたこのシナリオは半端ではない。強烈な印象を残す。

 ドラマでは、自分のことを「わい」と呼んでいるが、映画では「わー」相手のことを「なー」と呼ぶ。下北の言葉を使って演じる役者たちの困難も感じるし、長回しが基本である相米作品ではとりわけ船上でのマグロとの格闘シーンは撮影そのものの困難さがわかるだけに、圧巻である。妙に明るく晴れた印象のあるドラマに対し、「魚影の群れ」は冬の厳しさ、風の激しさ、雲の分厚さという点においても陰影が強い。台本を含め、まるで陽と陰の真反対の印象がある両作品なのであった。