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青年のように

crimewave2007-07-25

 今夜は通夜である。昨日のうちにばたばたと葬儀屋が祭壇を立て、午前中に入棺を行った。

 なきがらに死出の旅装束を着せ、足袋とわらじを履かせているうちに、この父が23年前には私の弟に足袋を履かせながら「なんで、お前のほうが先に行くんだ」と号泣していた姿を思い出してしまった。私は、父の旅立ちを見送る側に立てたので、父はほっとしていると思う。そう思いながらわらじの紐を縦にぎゅっと結わえた。

 死に化粧を施された父はすっかり若返った。棺に納まってみると、青年のようにも見えた。岩手の海辺の村に生まれ、幼少時に両親が離婚し、母の故郷である函館に戻ったこの人は五稜郭の周辺で育った。高校を出てから東京に出た父は、終戦間際に戦争に取られた。電気技術を専門に学ぼうとしていた父は、通信兵として戦場で生き残り、終戦後シベリアで抑留生活を送った。手榴弾を投げ返した時に失った親指のおかげで早めに引揚船に乗ることができ、復員後、ヒロポンに溺れそうになった父を、焼け跡を生き延びた母が救った。私は東京の駒込病院で、この二人から生を受けた。結婚生活は順調ではなく、酒と暴力に明け暮れる父と母は離婚した。大学を卒業したばかりの私は離婚証明書の立会人の項目に印鑑を押したが、弟はその時とうとう約束の場所に現れなかった。弟がジャズで身を立てようと成功に片足を乗せたとたんにバイクの事故で急逝した。母は、私が結婚する直前にくも膜下出血で倒れ、左半身に生涯麻痺の残る体になってしまっていた。弟の死後、家族はばらばらな場所で、遠く離れて別々の人生を営んでいる。

 そんな父の安らかな死に顔を見つめる。死に際にはなぜ病院に運ばれてゆくのかもわからなかったようだ。何年も前に死んだ愛犬の名前を救急車の中で呼んでいたらしい。意識の戻らないまま、病院で24時間を過ごし、静かに息を引き取ったという。波乱に満ちていたけれど、再婚して田舎暮らしに移ってからの晩年は穏やかで、好きな釣りや温泉を毎日愉しむという平和な年月だった。その幸せを思うと、私の心も安らぎ、死そのものを悲しいとは感じない。生前に何度も家を飛び出し行方の知れなくなった父に対し、既に何度も別れを告げてきたせいか、父との別れについては、さして悲惨なものとは思えないのだ。父と私は永遠に親子であり、そこにある絆は、遠く離れても、何度別れて離れ離れになっても、結局は全然変わりようのないものだったからである。